近年に見る社会的貢献

 

・町火消四十八組 地域の火災消火活動に従事する。同時に治安の維持に奔走。

 

 (勝海舟 「氷川情話」参照)

 

・江戸末期から明治維新、戊辰戦争など戦時において民衆の前衛となって街の治安、警備などを受け持つ。

 

  幕末に活躍を見る親分衆

 

{佐幕派}  新門辰五郎、三河屋幸三郎、会津の小鉄

 

祐天仙之助(祐天吉松)、岐阜の弥太

 

{勤皇派}  日柳燕石、黒駒の勝蔵

 

などが有名。

 

「草莽隊」などとして農民や浪人と共に参戦した。

 

・明治元年九月十八日 清水次郎長、清水港において幕府の軍艦咸臨丸乗組員全滅にともない、浮遊する幕臣の屍を向島に葬る。

 

 明治二年六月 山岡鉄舟より「壮士の墓」として揮毫してもらう。

 

・同年 清水次郎長、静岡藩の命により、市中取締役となり、日夜公事に従事する。

 

・同年 十一月十八日、三保の太田神官賊の為に殺され、町民動揺する。清水次郎長これを警備する。

 

・明治二年 正月十一日三保大火。清水次郎長、富人を説いて寄付を集める。

 

・明治十四年 三月 清水次郎長、富士裾野開墾の監督をする。

 

 現在も富士市大渕に「次郎長」と名前の付いた村が存在する。

 

 おもだってお茶の栽培が盛ん。

 

・清水次郎長、山岡鉄舟に協力し、村松久能寺趾に補陀洛山鉄舟寺を建立するに奔走する。

 

・会津の小鉄、明治十五年日朝関係が悪化したことから自由党より相談を受け、博徒部隊の朝鮮渡航計画に参加する。

 

・自由民権運動に参戦、農民の困窮から起こった一揆において、その前衛となる。

 

 秩父困民党一揆、群馬事件など…

 

・明治十六年十二月 借財に困窮する農民を糾合して「借財年賦償却、学校三年間休校、雑税、村費の半減運動」を蜂起する。

 

・明治十七年九月 自由党員等と計って、困民救済問題に着手。

 

・吉田磯吉、衆議院議員となり、十七年間代議士を務めた。

 

(大正四年に当選し昭和七年まで)

 

 他、保良浅之助なども昭和五年に衆議院議員となり、磯吉と共に立憲政友会に所属した。

 

・大正八年十一月十四日 原敬内閣の内相床次竹次郎の「右翼的再編、全国統一体組織立ち上げ」との発案から、頭山満を顧問に迎え、大日本国粋会を結成にいたる。

 

 大正九年十二月十五日 大日本国粋会関西支部を結成。

 

 六千人の大デモ行進を敢行する。

 

・大正十五年~昭和五年 吉田磯吉、労働争議(旭硝子争議、沖仲仕紛争、福岡の入山炭鉱事件、林兼のトロール船乗組員スト)の調停を頼まれ解決をする。

 

・大正十年~十一年 民衆の困窮を見るに権力へ反発し、「不穏宣伝ビラ事件」「軍隊宣伝ビラ事件」を起こす。所謂、社会主義運動である。

 

 全国行商人先駆者同盟を設立、労働者側の訴えをする。

 

・昭和二十六年 木村篤太郎法務総裁の肝いりで、右翼再編高層の戦後版、「反共抜刀隊」を計画。名だたる親分衆が協賛する。

 

・昭和三十五年 アイク訪日にともない、政府側からの依頼により天皇陛下とアイクの警備に、博徒一万八千人、テキヤ一万人、が参加する。

 

・平成元年十一月~平成三年四月九日 橘湾群発地震を基に雲仙普賢岳が噴火、地域住民に大きな被害へと拡大していった災害に対し救済活動や寄付などを行う。

 

・平成七年一月十七日 淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として、兵庫県南部地震が発生した。所謂阪神淡路大震災において、地域の復興と物資支援を行う。

 

・平成二十三年三月十一日 宮城県牡鹿半島太平洋海底を震源とする日本周辺における観測史上最大の地震、東北地方太平洋沖地震が発生したことに伴い、その救済活動を行う。